不幸な人生だったと思わずに最後を迎えるには

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最後の時、幸せな人生だったと思いたい


先日、伯母の通夜に参列した。
肺を患っていたらしく、最後は少し苦しんだが、それまでは比較的穏やかに過ごし、88歳で生涯を閉じた。

私の父親は85歳てまだ元気でいるが、母親は既に他界している。
他の親類も親の世代は段々と少なくなっていく。

歳をとっていけば仕方のないことであるが、自分も50半ばを過ぎる歳になると、ふと、自分は最後の時、何を思うのだろうなどと思うことがある。

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大往生ってなんだ?

住職がお経を上げ終わった後、親族に向けて話しをしてくれた。
細かいところは忘れたが、心に残ってることがある。 それは、、、

大往生とはどういうことか? 一般的には「長生きして、誰にも迷惑をかけることもなく、最後は大木が静かに倒れるようにこの世を閉じる」というように思われている。
しかし、長生きが大往生の条件では無い。
(永六輔の著書「大往生」の言葉を引用しながら)
大往生したと言える条件はいくつかあり、
そのひとつは「一人でもいいので、涙を流してくれる人がいること
ふたつ目は「いい人生だった、幸せだったと最後に思えること
そして、、、

というような話しであった。
話しを聞き終わって「確かにそうだよなぁ、そうありたいなぁ」と思うのだか、

さて、自分は最後に幸せな人生だったと思うことが出来るのだろうか、、、

今、自分は幸せなのか

私は今の会社に30年以上勤め、既に第一線からは退いている。
かつての部下が上司となったり、出世して自分より高い給料を貰っているものもいる。
サラリーマンでは、当たり前のことであろう。

現役の50歳位までは「他人と比べて自分はは恵まれてない」などという思いがよぎることもあった。

しかし、3年位前からあることをきっかけに、そういう考えはしないようになった。

幸せの度合いを他人と比べるな

テレビだったか、ラジオだったか忘れたが、
自分の幸せの度合いを他人と比べても、何もいいことはない」という話しを聞き、ハッとさせられた。

確かに、挽回しようと行動するなら良いと思うが、ただ悔やんでいるだけなら、何も変わらないだろう。

それなら、他人と比べることなく、今の自分が幸せと思えるならば、それで十分幸せである
そう考えるようになり、それからは、なんだか少し気が楽になったように思う。

この先、もしかしたらボケてしまって、家族に苦労を掛けることがあるかもしれないし、何があるか分からないが、家族に感謝し、自分は幸せだと思って過ごしていこう。

そうすれは、最後の時も幸せな気持ちでいられるかもしれない。

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